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| 2000年05月12日(金) | |
| ■北極圏から自転車旅行スタート | |
日記も書く暇がなくて困っている。今日からようやく日記再開!でも、以前みたいに毎日書けないかもしれない。 今日、北極圏に入った。北極遠征が終わって、もう寒いところはないだろうと思っていたら、大間違い。マイナス10度で雪が降っている。イヌビクという町からカナダ自転車横断の旅を始めるはずが、北極圏に入り、少し北上したところで道が封鎖されているという。そのため、予定を変更して、ユーコン準州とノースウエスト準州の州境、北極圏に少し入ったあたりから自転車の旅を始めることになった。 北極で使っていたゴアテックスジャケット、ゴアテックスパンツをこんなところで再び使う羽目になるとは。東からの風が猛烈に強く、自転車に乗りながら、顔に凍傷を負うかと思った。途中、50センチほどもあるハリネズミや、ムースの群を見た。ツンドラの大地が白い山々と共に視界いっぱいに広がり、人の気配はない。アップダウンを繰り返しながら、ぼくたちはリレー形式で距離をかせいでいった。今日はイーグルプレーンズという場所にいる。ガソリンスタンドとキャンプ場があるだけの何も無い場所だ。基本的にはホテルなどに泊まらないことになっているので、今日も北極のにおいがしみついた寝袋で寝る。とにかく、ゆっくりメールを書く暇もない。今は夜中の一時。もう寝る。 |
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| 2000年05月14日(日) | |
| ■ドーソンでJ-WAVEの取材を受ける。 | |
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| 2000年05月15日(月) | |
| ■ユーコン川のほとりにて。 | |
今、カナダのドーソンという町にいる。ユーコン川のほとりにあり、昔ゴールドラッシュで栄えた町だ。ぼくは、大学1年のときに一人でユーコン川をカヌーで下り、ドーソンにたどり着いた。ホワイトホースという町から20日くらいかかっただろうか。素晴らしい旅だった。ドーソンについて、腹一杯食事をし、へたくそなカンカンダンスを観た。 再びドーソンにやってきたがほとんど何も変わっていない。ただ一つ相違をあげるなら、ユーコンの情景だ。あのときは夏だったが、今は春。ほんの少しだが、雪が残り、長い冬眠の名残が残っている。下手くそなカンカンダンスをやっていたカジノはシーズンオフのため閉まっている。 昨晩は場末のバーに行って、久々にビールを飲んだ。バックパッカーや猟師、風来坊がたむろしている、ドーソンらしい小汚いバーだった。地元のバンドが大音量で一昔前のロックを演奏していた。北極以後、はじめての人間くさい場所だ。夜中の一時頃までいた。その後ユーコンのほとりで泊まる。 そして、今日はホワイトホースを目指す。なんだか、自分の思い出の地を逆にたどっているようで、感慨深い。ユーコンに「また来るよ」といって、ドーソンを去る。いつかユーコンの全行程を下ろうと思う。北極海へ。 |
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| 2000年05月16日(火) | |
| ■カーマックスでプレゼンテーション。 | |
ペリークロッシング(フォートセルカーク)という町を出発し、カーマックスを通り、ホワイトホースまでやってきた。一人42キロ自転車で走る。 ペリークロッシングはユーコン川の支流ペリーリバー沿いにある小さな町だ。そこにある学校でプレゼンを行う。小さな子供は好奇心のかたまりで、北極のスライドなどを見せると素直に感嘆の声をあげる。嬉しい反応だ。その後、ユーコンの自然について、思い浮かぶものを何でもいいから白紙に書いてもらった。先生から注意されてばかりいる悪ガキタイプの男の子が何を書くか観ていたら、池にあひるとグレイリング(魚の名前)がある可愛い絵を描いていた。最後にNature is coolと付け足していたのが妙に印象に残っている。 その後、カーマックスへ。カーマックスも2年前にユーコン川を下った際、立ち寄った町だ。ハイジと二人でプレゼンテーション。白熊の真似をしたら、子供にかなりうけた。ちょっと嬉しい。 プレゼン後、さらに自転車を漕ぎ、ホワイトホースのはずれに到着。ロッド・テイラーという有名な犬ぞりの名手の家に行く。舟津圭三さんをしっているとのこと。犬ぞりのことをもっと知りたい。明日もう一度、ゆっくり話そうと思う。彼の家の庭で寝る。 |
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| 2000年05月17日(水) | |
| ■ホワイトホースでプレゼン3回 | |
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| 2000年05月18日(木) | |
| ■久々の休日 | |
5月18日ホワイトホースの地元紙・ユーコンデイリーニュースの一面に大きくぼくたちのことが記事になったり、昨日はプレゼンを3回も行ったので、ホワイトホースではちょっとした有名人になっている。町を歩いていて、可愛い女の子が手を振ってくれたりしてとても嬉しい。朝、近くの森のゴミ拾いにでかける。ユーコンクエスト(有名な犬ぞりレース)のトレイルにもなっている場所なのに、ひどくたくさんのゴミが散乱している。理由を聞いたのだが、よく理解できなかった。軍隊がどうの、と言っていた。昼頃までゴミを拾って、その後、近くの温泉にでかけた。日本のように素っ裸にならず、水着を着て入るのがちょっとうっとうしい。今日は久々の休日で、午後からはフリー。町を散歩して、夜はハイジと映画をみにいった。「Skull」という映画。ハーバードかエール大学が舞台になっている。ハイジはハーバードやエールなどと同じアイビーリーグの一角を占めるブラウン大学の学生で、時々、頭の回転の速さに感心させられる。リラックスした一日だった。 |
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| 2000年05月19日(金) | |
| ■メルセデスと再会 | |
| 5月19日今日はメルセデスと再会する日だ。メルセのお父さんが車の事故で意識不明だという連絡が入ったのは、レゾリュートに戻ってきてすぐだった。みんなようやく普通の食べ物にありつき食堂で歓談しているとき、彼女は目に涙をいっぱいためながら、必死に笑顔をつくって食堂に入ってきた。あのときのメルセデスの姿は忘れられない。100マイルハウスでメルセが一時帰国して以来、10日。ぼくとハイジが空港までメルセを迎えにいった。ホワイトホースの空港で再会したメルセは、少しやせたように感じた。車から駆け下り、彼女の姿を見つけ走っていくと、いつもの笑顔で抱きしめてくれた。お父さんの様態は変化していないが、ほんの少し話を交わせたという。お父さんは「みんなのもとに戻り旅を続けなさい」と言ってくれたらしい。再び8人での旅がはじまった。今日は一人60キロ自転車を漕ぎ、キャンプ。夜のミーティングでマーティンとジェイがスポンサーに関して長い討論。詳しくは書かないが、色々複雑な局面に入りそうだ。 | |
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| 2000年05月20日(土) | |
| ■カリスマ美容師登場 | |
5月20日7時起床。今日は一人45キロ自転車をこいだ。夜、湖の近くでキャンプ。湖の渚に立ち、正面の山々を眺めながら、風や鳥のさえずりに耳を澄ますと、心がやすらぐ。 早めに夕食を終えて、たき火をしていると、ハイジに声をかけられた。「髪、切ってくれない?」北極から帰ってきたときに、髪を切る約束をしていたのだ。特に経験はないが、気軽に「まかせとけ」と言ってしまった。普通のハサミが無いので、鼻毛を切るハサミをかりて、即席美容室を開店した。鼻毛用の小さなハサミをみて、ハイジは苦笑していたが、北極を乗り越えた女の子は、いちいちそんなことを気にしない。ハイジの髪は襟首くらいまでのショートカットで、外むきにはねている。個人的にはとても可愛いと思う。彼女の注文は後ろ髪を少し切り、周りもちょっとずつカットしてくれとのことだった。はっきりいって人の髪など切ったこともないし、自信もない。が、切り出すと結構面白くて、かなり真剣になる。まっすぐ横に切るとワカメちゃんのようになってしまうので、斜めにジグザグにハサミをいれた。メルセデスにアドバイスをもらいながら、20分ほどかけて切り終えた。心配させないために、「うん、きれい」とか「スーパーモデルみたい」などと声をかけながら慎重にハサミを入れる。切っている間は少し不安そうだったが(当たり前だ)、切り終えて鏡をみると、満足してくれたようだった。「また伸びたら切ってね」といわれ、ちょっと嬉しい。友達同士で髪を切ることに快楽を見いだしたぼくは、自分の髪も切ってもらいたくなってしまった。メルセデスは彼女の兄弟の髪をしょっちゅう切っているとのことなので、メルセデスに鼻毛用のハサミをあずけ、切ってもらうことにした。不安だったので、伸びた後ろ髪だけ切ってくれとお願いしたのに、面白がって、前髪やらサイドの髪まで切り出した。どうにもならないので、お任せコースで切ってもらった。ハイジは「マット・デイモンみたい」と言ってくれたが、にやにやしているので説得力がない。ちょっと、パイナップルのようになってしまったが、自分では気に入っている。メルセも満足げなので、まあよしとしよう。 |
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| 2000年05月21日(日) | |
| ■泥まみれのサイクリング | |
| 5月21日今日は朝から厚い雲が空を占領していた。雨かなと思っていたら、案の上雨が降ってきた。おまけにぼくのパートはコンクリートではない砂利道で、タイヤから跳ね返った泥水がぼくの顔にまともにかかってくる。グローブも夏用のメッシュ地のものなので、濡れそぼった手は寒さを通り越して、痛みに変わる。45キロ走った。ぼくのパートが終わって一時間もすると太陽が顔をだしてきた。たのむよ、太陽。 | |
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| 2000年05月22日(月) | |
| ■100マイルハウスへ | |
| 5月22日今日は一人90キロ走り、一気に100マイルハウスまで戻る。ぼくは勘違いして105キロも走ってしまった。6時間弱。疲れた。 | |
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| 2000年05月23日(火) | |
| ■歯医者と、NHKラジオ取材。 | |
少しの前の話になるが、パソコンが壊れてしまった。東芝のリブレットというパソコンで、いつもハードケースに入れて持ち歩いているのだが、車に乗っているときの振動も激しいし、たまに高いところから落とすことがあるので、壊れるのも当然かもしれない。今はNECのモバイルギアというサブ機を使って、メールをやりとりしている。ぼくはマックユーザーだし、パソコンにそんなに詳しい方ではないので、毎日が四苦八苦だ。たまに立ち寄るドライブスルーやお店の電話線を借りたりして、モジュラージャックを見つけては接続を試みている。日本に帰る頃には、いっぱしのモバイラーになっているかもしれない。 今日は歯医者にいった。以前、日本で左奥の歯にブリッジという治療を施したのだが、今になって隙間ができてしまい、そこにチョコレートやらなにやらが入って、静かに静かに痛む。北極で歯が痛くなったときは最悪だった。夜中に歯痛で目覚め、痛み止めの薬を塗ったのだがおさまらず、眠れなかった日が一日だけある。そのときはローリーに強力な痛み止めの飲み薬をもらって、ようやく痛みがおさまったのだ。これから何ヶ月も歯痛に苦しむわけにはいかないので、100マイルハウスで思い切って歯医者に行くことにした。 ブリッジの治療には最低での2週間弱かかるらしく、ぼくたちのタイトなスケジュールでは当然なおせそうもない。100マイルハウスではPole to Poleのことは皆に知れ渡っているので、歯医者さんも事情を察し、なんとか応急治療をしてもらうことになった。あさってにもう一度歯医者にいく。旅の最中の歯痛は最悪だ。 その後、夜の9時からNHK短波放送の取材を受けた。北極のことを話した。植村直己さんの本の中に、グリーンランドを縦断しているときにNHKの短波放送を聞くくだりがある。まさか、僕の声をグリーンランドで聞いている人はいないだろうが、旅の合間にどこかで誰かが聞いていると思うと、緊張する。インマルサットの調子がよく、ほとんどタイムラグなしで通話できた。北極、南極以外ではインマルサットは大活躍しそうだ。 で、レノの家族の写真をウエブでみたりして、深夜にに就寝。 |
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| 2000年05月24日(水) | |
| ■100マイルハウスでの一日。 | |
書き忘れていたが、今は100マイルハウスにいる。土曜日までここに滞在し、再び自転車でカナダを南下していくのだ。 今日は朝から中学校でプレゼンを行った。PEクラスといって、体育に特別に力を入れているクラスの生徒の前で話す。皆、冒険やらスポーツやらが好きな生徒たちらしい。30人程度のクラス。PEクラスということで、今日はマッキンリー登山の話を交えて、いつもの「small step」について話す。 その後、マーティンのオフィスに戻り宇、壊れたパソコンを日本に送り返したり、荷物のパッキングをしなおしたりした。ウエブサイト用に皆の自転車姿の写真も撮った。 今日の夕食はステーキだったが、歯痛であまり食べられなかったのが悲しい。その後夜9時からマッサージ。いたれりつくせりのようだが、これを最後に旅はノンストップで南極へと進んでいく。まだ三分の一も終わっていないのだ。 |
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| 2000年05月25日(木) | |
| ■プレゼン、プレゼン、またプレゼン。 | |
朝シャワーを浴びて、朝食。北極のことを思い返し、シャワーを浴びられるということの素晴らしさを感じる。あのときは一ヶ月も体を洗っていなかったので、レゾリュートに戻ってきたときは皆異臭を放っていた。今までの「風呂にはいらない最高記録」はマッキンリーの2週間だったが、北極でその記録を大幅に更新した。どうでもいいことだけど。 またもや、100マイルハウスの中学校でプレゼン。ぼくとジェイとデブリンとハイジが学校を訪ねた。生徒は13歳から14歳くらいだろうか。皆、大人びている。今日は「Take a risk」と「small step」について話した。その後、学校の裏の小川でゴミ拾い。生徒たちは明らかに嫌がっているので、ぼくたちがお手本になって積極的にゴミを拾わねばならない。快晴で気持ちのいいゴミ拾い日よりだ。 お昼をはさんで、2時からアメリカのテレビ局の取材。FOX10というテレビ局でニューヨークからはるばるやってきている。アメリカのテレビ局についてはよく知らないが、ジェシカとハイジが、その話を聞いたとき目を丸くしていたのできっと大きなテレビ局なんだろう。全員での集合映像を撮って、その後ジェシカとハイジにスポットをあてたインタビュー。 余談だが「バンクーバーサン」という大きな新聞にP2Pの記事が載った。トップは僕が撮った「レゾリュートでイグルーを作っているメルセデス」の写真だ。大きく使われていて嬉しい。 夕方からはオフィスでロジスティクスに関するミーティングがあった。 |
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| 2000年05月26日(金) | |
| ■外国で歯医者に行くということ | |
朝8時から歯医者に行った。旅の最中の歯痛は最悪だ。北極で、夜ねているときに、歯が痛くなって痛み止めを塗っても効かず、朝まで眠れなかった日が一日だけあった。気温が低いのも影響していたと思う。あのときはローリーから強力な痛み止めをもらい、なんとかごまかしていた。あのような経験は二度とごめんだ。 外国で歯医者に行くのは少しだけ恐い。アフリカで歯医者に行くのは躊躇するけれど、ここはカナダ。まだ安心感がある。100マイルハウスは小さな町だが、2軒の歯医者がある。1軒目に行った歯医者では2,3日で治せるものではない、と断られ、2軒目の歯医者で看てもらえることになった。これから半年以上旅を続けるわけだから、なんとしてもここで治しておきたい。ブリッジを付け替えることは時間がかかりすぎて無理なので、神経を抜いてもらうことになった。麻酔がなかなか効かず、4回ほど注射を打たれた。元気な証か。口を開け続けること、1時間半。治療は無事終了した。 もう100マイルハウスに戻ってくることはないので、家に送り返す荷物と、南極のための荷物と、南アメリカまでの荷物に分け、入念にパッキングをする。夕食は100マイルハウスの仲間たちが集まり、皆で最後の夜をわかちあった。トレーニング期間にお世話になったEDUCOというアウトドアスクールの仲間、環境問題の講義をしてくれた小学校の先生やクロスカントリースキーを教えてれくれたおっちゃんやら顔ぶれは色々だ。夕食後、次いつお酒を飲めるかわからないので、宿の一角にあるプールバーに行って、ビールを一本飲んでビリヤードをした。12時過ぎ、就寝。 |
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| 2000年05月27日(土) | |
| ■さよなら100マイルハウス | |
今日は100マイルハウスを発つ日である。朝6時に起きて、8時頃出発した。小雨のぐずつく、冴えない天気だった。オフィスのすぐ近くにあるビジターセンターの前に地元の人たちが集まり、見送ってくれる。P2Pのメンバーはロゴが入ったゼッケンを身につけ、地元の人たちと少しの間、一緒に自転車をこぐ。スタート前にビジターセンターで100マイルハウスの旗をもって、写真を撮り、ローカル新聞の取材を受ける。マーティンの家族やオフィスの人たちはもちろん、このプロジェクトに関わった様々な人の顔がある。雨が降っているというのに、たくさんの方々が駆けつけてくれて嬉しい。これではまるで第二のスタートのようだ。 パトカーの先導の元、地元の人たちと一緒に南へとゆっくり自転車をこぎ出した。ウイスラーを経由してバンクーバーへと向かう。マーブルマウンテンというロッククライミングで有名な場所を通り、古い先住民村落の跡地「KEATLEY Creek」に泊まることになった。 紀元前にここに村落があったという。ディランから説明を受けなかったらおそらく気づかなかっただろう。窪地のようなあとがわずかに残ってるだけだ。その昔、人が住んでいたであろう丘に一人たたずみ、空を眺めた。向かいにはライムストーンがとれる黒い山がそびえたっている。雲が頂上を隠し、雲の中に太陽の光が射し込んでいるさまは、足を踏み入れることができない仙人峡を思わせた。エチオピアのラスダシャン山塊に入り、奥へ奥へと歩み、そびえたつ崖の上から見た光景と似ていた。ぼくはアフリカの光景に思いを馳せながら横になり、太陽の暖かな日差しの中で、少しのあいだ眠った。鳥のさえずりと風の音を聞いているうちに、人類が歩みを続けてふとこの地に立ち寄り、住みたくなるのも無理はないと思った。今日は一人40キロ走った。 |
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| 2000年05月28日(日) | |
| ■心臓破りの坂越えてウイスラー到着 | |
| 7時起床。小高い丘に登って、昔の村落跡を眺めながら用を足した。周りには馬の糞が散らばっていた。気持ちのいい朝。 今日はディランと組んで自転車をこいだ。ぼくらのパートはちょうど谷越えで一番きつい部分だった。眼下には清流が気持ちのいい音をたて、周りはビッグウォールが囲み、確かに景色は素晴らしい。が、坂道が延々と続き、景色を見る余裕などない。かなり軽いギアにいれると、なかなか進まず、気分が悪い。おまけに途中で膝も痛くなって、今日の自転車こぎはつらかった。 夕方、ウイスラーに到着。歓迎されるままに町はずれのパーティー会場でサーモンステーキを食べ、周りにうろうろしている子供たちと遊んだ。 その後、ウイスラーでプレゼンなどのアレンジをしてくれるケビンの家を訪ね、今日はそこに泊まらせてもらうことになった。久々にシャワーを浴びることができた。 | |
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| 2000年05月29日(月) | |
| ■ウィスラーの長い一日。 | |
今日はプレゼンを3回行った。いつものぼくのパートははスモールステップについてなのだが、毎回それだと飽きるので、今日は「Take a risk」を担当した。北極での小便ボトルの使用について話し、3回ともそこそこ皆面白がってくれたので嬉しい。 北極ではテントの外にでたくないので、テント内で水筒の中に小便をする。しばしば、寝てるときにしたくなることがあり、その場合は寝袋の中に小便ボトルをいれ、横になりながらする。慣れるまで練習が必要だ。誰もが一度はこぼすだろう。一度、500ミリリットルのボトルがあふれたことがある。そのとき以来1リットルのボトルを使っている。夜すると朝には凍っていて、ストーブを使って溶かすのだが、これほど空しい作業はない。寝袋の中にそのままいれておいて、凍り付かせない方法があるが、狭い寝袋の中に小便ボトルを転がせておくのは非常に邪魔である。ああ、懐かしき北極ライフ。 中学生に向けて2回、パブリックプレゼンテーションが一回。いずれも学校の教室と体育館を使って行った。プレゼンの後に質問の時間があり、いつもはスポンサーのことだとか、個人の参加の経緯について聞かれるのだが、今日は「チームの中にカップルはいるのか?」という質問がでたりして面白かった。それについては、とりあえずノーコメントとしておこう。またの機会に詳しく書くつもりだ。 プレゼンの合間にウィスラーの市街を散策した。日本人が多いことに驚く。スノーボーダーが大半のようだ。様々なアウトドアショップがあって、歩いていて飽きない。ブラックダイヤモンドのアイゼンが欲しくていろいろ探しているのだが、バンクーバーので買った方が安いようだ。アメリカにはいると若干物価が高くなるので、今のうちに買っておかなくては。 今日もケビンの家に泊まる。深夜に就寝。 |
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| 2000年05月30日(火) | |
| ■ABC到着! | |
10時、ウイスラーを出発した。次の目的地はバンクーバーのはずれにある、ライオンズベイという港だ。そこから、カヌーを漕いでバンクーバーに向かう。ライオンズベイまでは100キロ弱しかないので、チームを半分に分けて4人ずつ2回のリレーを行った。40キロほど自転車をこいだ。 スクォミッシュという町を通る。クライミングで有名な場所で、面白そうな壁が視界いっぱいに広がっている。ディランが頂上まで20ピッチくらいだと言っていた。 午後、ライオンズベイに到着。突然、雲がかかり、雷が鳴り出した。稲妻が宙を舞う。通り雨にしては、気合いが入りすぎている。ホワイトホースでお世話になったヘクターさんがカヌーを調達してきてくれて、バンクーバーのグランビルアイランド目指して、カヌーを漕ぐことになった。クリッパーの大型カヌーで7,8人はゆうに乗れる大きさである。ウイスラーで自転車に乗っていて転び、肩を痛めたデブリンを除く7人がカヌーに乗り込み、バンクーバーを目指した。3時間ほどでつく予定が、6時間くらいかかってしまった。入り江の先端から潮流が強くなり、沖にながされ気味だったのも原因している。結局着いたのは夜の9時頃で、皆お腹が空いているのと、疲労とで不機嫌だった。 ここ、バンクーバーではFour Windsという宿泊施設に泊まらせてもらうことになった。部屋を二つ借りて男女で分かれて寝る。夜にミーティングをして、スケジュールを管理する担当のジェシカから、バンクーバーでの予定などを聞く。夜中の2時頃就寝。かなり疲れた一日だった。 |
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| 2000年05月31日(水) | |
| ■海のある都市。 | |
朝からバンクーバーのキツラノ周辺でゴミ拾いをした。海に面した場所で海岸沿いを歩きながら、ゴミを拾う。海に面した町は開放的な雰囲気があって好きだ。北極から今まで内陸にいたので、久々に海を見ることができて、嬉しい。潮の香り、羽を伸ばし宙を舞うカモメの姿、海岸にうち寄せられた海草や貝殻、砂浜の感触、うち寄せる波の声、広がる水平線、どれもこれもなんとなく懐かしい。ぼくは海が好きだ。海岸から高層ビル群がバンクーバーのダウンタウンを眺めた。どんよりした雲と限りなく雨に近い濃い霧に包まれたダウンタウンの風景は、彼岸の世界を思わせる。浮き立つ高層ビル。 キツラノの海岸は思ったよりきれいで、ゴミはあまり落ちていなかった。一番多かったのはたばこの吸い殻だろうか。海岸でレイバンのサングラスを拾った。 潮が引いた渚には数種類の鳥たちが集い、蟹の死骸や海草をついばんでいる。豊かな生命がそこにある。関係ないが、渚のように何かと何かが交わる部分に惹かれる。海と川の交わる汽水域、文化と文化が融合する町、クレオール・・。 午後はダウンタウンに行って、髪を切った。ビジターセンターの建物の地下にある床屋。スズキさんという日本人の方が経営している。2年前、ユーコンを下ってバンクーバーに戻ってきたときもここで切ってもらった。あのときはほとんど髪を洗えず、かなり汚い状態で床屋に飛び込んだにも関わらず、気さくなお姉さんが笑顔で切ってくれた。今回もまた気持ちのいい散髪だった。 ダウンタウンをふらついた後、グランビルアイランドで行われたパーティーに参加。ビールを少し飲むが、退屈なので、フェザークラフトの本社を訪ねた。フェザークラフトはぼくが愛用している折り畳みカヤックのメーカーで、とても美しく高品質のカヤックを作っている。乱雑でいかにも職人小屋を思わせる工場の雰囲気が好きだ。近くにはスキンカヤックを作る店もできていた。そこではグリーンランドタイプのカヤックを作っていた。 そのパーティーが終わった後、自由時間となる。ジェイとダウンタウンのディスコに行くが、あまり面白くなかった。夜中の2時頃、就寝。 |
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